日銀貴族 2010 7 25

書名 伝説の教授に学べ
著者 浜田 宏一  若田部 昌澄  勝間 和代

 私は、今年6月20日に他の本の書評で、
世界の常識とは離れて、
日本で独自の進化を遂げた「日銀理論」について言及しました。
 こうした「日銀理論」を学ぶには、
岩田規久男氏の著作がよいと書きましたが、
7月8日発売の「伝説の教授に学べ」という本もわかりやすいと思います。
この本は、対談形式を取っていますので、読みやすいと思います。
 この対談の中で、若田部昌澄氏は、こう言っています。
「これは金融関係の記者の方から聞いた話ですが、
日本銀行の人たちは、金融機関が健全かどうかまでは想像力が及ぶけれど、
それから先に国民経済があって、
自分たちの政策がそこに影響を及ぼすということは、
なかなか理解できない、と言うのです」
 同じく浜田宏一氏も、こう指摘します。
「われわれから見ると、残念ながら日本銀行には、
自分たちの政策が人々の経済状態に影響を与えるという認識が
不足しているように思われます。
 日本銀行は、金融システムが機能不全を起こすのは困る、
ということはよく認識しているのでしょう。
 彼らは、自分たちの周りにある短資会社や金融機関が安泰であれば、
自分たちは金融システムの守り神として、
きちんと仕事をしていると思い込んでいるのかもしれません」
 続いて、若田部昌澄氏は、
「短資会社とは、金融機関同士の短期資金の貸し借りを仲介する業者です。
短資会社の経営陣には、多くの日本銀行出身者がいます」と指摘します。
 勝間和代氏は、
「自分たちの仕事を、
金融システムの維持や適正な物価水準の維持といった狭い目的に限定してしまって、
その結果として、若年層などの弱者が、今、陥っている状況について
理解が乏しいように見えます」と言っています。
 日本銀行が自分たちの守備範囲を狭く考えてしまっていることについて、
浜田宏一氏は、「自分たちは、これだけしか守らないと決め込んでいると、
エラーが少なくなるわけです。
責められることを少なくするという背景から生まれた発想としか思えません」と分析します。
 三氏とも、いろいろな分析をしていますが、
こう考えた方が、一番、わかりやすいと思います。
日銀は、最後の楽園となっている。
官僚を目指すのは、それが財務省や経済産業省とは限らないのです。
民主党政権の発足で、官僚の牙城であった中央官庁は苦しくなりましたが、
日本銀行が、官僚にとって、最後の楽園となっています。
そこが官僚の最後の楽園ならば、独自の官僚文化が発生するということです。

日銀理論 2010 6 20
書名 「日銀貴族」が国を滅ぼす
著者 上念 司  光文社新書
 この本は、一般の人が気楽に読めるように、
週刊誌風に作られていますので、
たとえば、通勤の電車の中でも読めるでしょう。
 ただ、残念なのは、
世界の経済学とは離れて日本独自で発達した学問である、
「日銀理論」についての考察が少なかったことでしょうか。
 これは、著者が言うように、緊急出版だったので、
学問的な考察に時間が足りなかったのでしょう。
 こうした日本独自に進化を遂げた「日銀理論」については、
岩田規久男氏が詳しいと思います。
 ところで、デフレには二つの側面があると思います。
それは、「モノ」と「通貨」です。
「モノ」については、需要不足ということでしょう。
「通貨」については、何度か書いていますが、
デフレの時代に、現金は王様となり、借金は負担となります。
これは、経済学を学んでいなくても、直感的にわかることです。
だから、誰もが現金を欲しがります。
つまり、マネーは退蔵される傾向になります。
そういうわけで、マネーの枯渇感というと言いすぎですが、
マネーの不足感が出てくるのです。
その結果、大げさに言えば、
人々は、マネーに希少価値を感じるようになり、
さらにマネーが退蔵される傾向が強くなります。
 心理学的に言えば、物欲とは逆の、
「マネーに対する偏愛」が強くなるということです。
 なんだか回りくどい言い方をしましたが、
要するに、みんな、消費をしないで、お金をため込むということです。
 このような時代に、小売業は厳しいと思います。
はっきり言って、小売側にも消費者側にも、余裕などなく、
いつ終わるとも知れない、
値下げという「チキンレース」を繰り返していると思います。















































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